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【書評】A.A.N. Raju, Legal Deposit and Bibliographical Control in India (New Delhi, 2009)

A.A.N. Raju, Legal Deposit and Bibliographical Control in India (New Delhi, Ess Ess Publications, 2009), ix+140pp.

 

Legal Deposit and Bibliographical Control in India

Legal Deposit and Bibliographical Control in India

  • 作者:A. A. N. Raju
  • 出版社/メーカー: Ess Ess Pubns
  • 発売日: 2009/07/30
  • メディア: ハードカバー
 

 

 

 日本において出版された書籍・雑誌等は「納本制度」のもと、国立国会図書館へと納本されなければならない。納本制度は知の傑物である文書資料を文化的資産として現在および将来世代のために保全することを目的として定められており[1]、これは日本に限らず様々な国家で実施されている[2]。本書の目的はインドで実施されている納本制度がどのようにして確立されてきたのかを歴史的観点から整理し、現状の納本制度の問題点を提示することである。

 インドにおける納本制度の端緒は、1867年に制定された「出版物印刷機および図書登録に関する1867年法」(Press and Registration of Books Act, 1867:以下、PRB法)まで遡る。この法律により、刊行された出版物を目録としてまとめる「書誌管理」の概念がインド国内において認知され、後に「図書および新聞の納本(公共図書館)に関する1954年法」(Delivery of Books and Newspapers (Public Libraries) Act, 1954:以下、DB法)によって本格的にインドにおける納本制度の整備が始まった。しかしながら、書誌管理および納本制度は、法令の制定のみで容易に達成できるものではなく、民間の出版社による協力が不可欠であった。インドにおける出版社の多くはこの法令を遵守する意識に欠けており、DB法制定後60年以上経つ現在でもインド国内の納本達成率は30~40%にとどまるという。そうした事実の上で著者は、納本と書誌管理の達成のためには、政府によるさらなる法整備と民間企業による法令遵守の意識改革という産官双方の努力が必須であると結論付ける。

 

 本書の構成は以下の通りである。

 <目次>

 第1章:序論

 第2章:インドの出版事情

 第3章:インドにおける納本制度

 第4章:インドにおける書誌管理

 第5章:インド各州における「出版物印刷機および図書登録に関する1867年法」の機能

 第6章:「図書および新聞の納本(公共図書館)に関する1954年法」下での納本

 第7章:「図書および新聞の納本(公共図書館)に関する1954年法」下での南インドの納本

 第8章:結論および提言

 

 以下に各章の概要と評者の関心に基づいた本書の問題点について議論する。

 

1.各章の概要

 本書のテーマはタイトルからも明らかなように、インドにおける納本制度(legal deposit)と書誌管理(bibliographical control)の成り立ちおよび現状を明らかにすることである。まず第1章では、納本制度と書誌管理の定義および意義について、インドに限らない国際的な視点から論じられている。納本制度の定義と意義については冒頭で述べたとおりであるが、書誌管理については「情報・知識媒体の適切な記録を行うための制度」と定義される。この制度の下で文献目録を作成し、現在および将来世代の誰もが、これまでに出版された文献に効果的にアクセスできるようにすることが書誌管理の意義であるという。また、書誌管理には全国的な側面と地方的な側面が存在する。全国書誌管理は国内で製作された様々な言語を含む出版物を体系的に記録するいわゆるマクロの視点であるが、一方で地方における書誌管理は国内の各地域において行われるミクロな書誌管理である。詳しくは後述するが、本書では主に南インドにおける書誌管理の実態を扱う場面があり、著者は地方単位での書誌管理を重視しているといえよう。

 第2章ではインドの出版事情について、歴史的な回顧が試みられ、第3章および第4章ではそうした歴史的過程を踏まえて、インドの書誌管理・納本制度が主に民間の出版社の貢献によって整備されてきたことを述べている。特に書誌管理の一環である文献目録の作成は、インドの場合当初は民間企業が積極的に取り組んできた。なかには書籍全般を収載する総合目録のみならず、文学、経済、歴史、農学といった各分野に特化した文献目録を作成する者も存在した。

 こうした民間企業による貢献を経て、1867年にはイギリスによりインドの学術知の保全を目的としてPRB法が制定される。ただし、この法令の制定は1857年のインド大反乱が契機とされており、インド国内における知的発展を「検閲」する目的もあった。第5章ではこのPRB法について、インドの各地域で如何なる機能を果たしているかが述べられている。PRB法は書誌管理を目的としており、出版社(制定当初は印刷会社)は新たに刊行される出版物を指定機関へと規定された部数だけ納本しなければならないが、その実態は州ごとに異なる。例えば、マハーラシュートラ州では州政府へ2部、州中央図書館(ムンバイ)へ1部、プネー政府図書館へ1部、ナグプール政府図書館へ1部と、計5部の納本が規定されていた。納本点数に関してはPRB法が最低3部と規定していたため多くの州で3部が通例であったが、各機関への発送料は出版社負担であり、なおかつ無償での提供を強要されていたため、売り上げにつながらないとして出版社側には納本のインセンティブが希薄であった。一方で、アーンドラ・プラデーシュ州では、上記のような納本の際の出版社の経済負担をなくすために、ラージャ・ラームモーハン・ローイ(Rajah Ram Mohan Roy)が図書館基金を設立して、納本のための費用負担を請け負うなどの活動が見られた。

 PRB法による書誌管理をより機能的な「納本制度」へと昇華させるために制定されたのがDB法である。具体的には、新しく刊行される出版物をコルカタ国立図書館、チェンナイのコネマラ公共図書館、ムンバイの州立中央図書館、デリー公共図書館の4つの機関にそれぞれ1部ずつ収めることが規定された。第6章ではDB法の下でどれだけの書籍が収集されるようになったのかが、納本機関別、言語別、州別といった多角的な側面で分析されている。データの欠損が多く必ずしも包括的な分析とはいかないが、首都であるデリーや最大の納本機関であるコルカタ国立図書館が所在する西ベンガルを除くと、南インドでかねてより納本点数が多い傾向にあったことが明らかにされている。一方で、DB法が納本状況をさほど改善できなかったことも語られる。その背景としては、DB法施行の下でもPRB法が有効であったことが挙げられている。すなわち、DB法とPRB法が同時に機能していることから、出版社の納本点数は計7点にも上り、各社の財政状況を圧迫する結果となってしまった。

 第7章では、上記の議論を前提として、なぜ南インドにおいて優秀な納本成績が観測されたのかを考察している。とりわけタミル・ナードゥ州の納本状況が卓越していることが明らかにされるが、その理由は以下の3点にあった。①タミル・ナードゥ州チェンナイに位置するコネマラ公共図書館は国内最大級の納本機関であった。②タミル・ナードゥ州の出版社がDB法の下での納本に極めて協力的であった。③タミル・ナードゥ州では出版活動そのものが他州と比べて活発であった。

 以上の議論を踏まえて、結論ではまずPRB法とDB法の統合の必要が説かれる。計7点にも上る出版社の納本の負担をなくすことの重要性は自明であろう。また、未納本に対する罰則の厳重化や納本に際して出版社負担となる送料の改善なども説かれている。そしてなにより重要なのは、納本に対する出版社の意識改革である。具体策としては納本機関側からの啓発活動が挙げられる。事実、コルカタ国立図書館は出版社向けにDB法に関するセミナーおよびワークショップを定期的に開催しているという。このように、産官双方の立場から納本制度に対する改革を行っていくことが肝要であると結論付ける。

 

2.本書の問題点

 ここからは評者の関心に基づいて本書に意見を述べたい。まず本書の体裁についてであるが、誤字脱字が極めて多く、表の数値に関しても桁区切りのカンマの位置[3]が統一されていないなど、全体として読みづらい印象を与える。表にはタイトルがあるものとないものが混在しており、表番号による整理もなされていない。極めて参照しづらいため、最低限通し番号はつけるべきであろう。また、不自然な構文が多いのも読みづらい印象を与える要因の一つである。等位接続詞の多様により節の繋がりが難解となっているため、読解には注意を要する。さらに、第3章の紙幅の大部分が納本制度ガイドラインの条項で占められており冗長である。構成面でも難を感じた。

 内容に関して興味深いのは、第5章で述べられているように、イギリスが1867年のPRB法にインドの知的発展の「検閲」的な役割を期待していたということである。これには1857年に始まったインド大反乱が大きく関わっていることが指摘されているが、この点についてはさらなる議論の余地があろう。まず、イギリス帝国史の先行研究において、インド大反乱は歴史の大きな転換点として評価されてきた。18世紀末以降、イギリスは自由主義帝国主義政策の下でインドに英語教育の導入や鉄道敷設、ヒンドゥー教の「悪しき」慣習の改廃[4]などを推し進め、インドをイギリスへ「同化」させることを試みてきた。ところが、インド大反乱によってこの同化政策は崩壊し、それ以降のイギリスのインド支配は、「同化」とは真逆の「インドとイギリスの差異」を強調するようになったというのが従来の定説である。一方で最近の竹内による研究では、インド大反乱後もイギリスの自由主義帝国主義は消滅せず、イギリスは上記の社会改革の代わりに公教育の推進や宣教師の布教活動を通じて、インドが自ら慣習を改めイギリスに同化することを長期的に期待するようになったという[5]。すなわち、インド大反乱以降、確かにイギリスは表立ってインドの社会改革を推進しなくなったものの、インドをイギリスに「同化」させる政策自体はあきらめておらず、長期的な視野でもってそれを実現する方向へと舵を切り直したということである。

 では、上記の議論を前提にした際に、PRB法に期待されていたというインドの知的発展の「検閲」的な役割はどのように評価できるであろうか。上記の竹内の議論によると、イギリス政府はインド大反乱の原因をインドの教育の発展にではなく、インド人の宗教的無知に求め、むしろ公教育を推進するようになったという。一方で、イギリスの福音主義派の宣教師たちは、インド大反乱をインドでの布教活動が十分でなかったことに対する神からの「裁き」と解釈し、大反乱以降インドのキリスト教化への活動を一層強めていった[6]。これらイギリスによるインド大反乱の解釈を念頭にPRB法を見てみると、そもそもインドの知的発展の「検閲」という試みがイギリス側にあったのかが疑わしい。PRB法の成立過程をイギリス側の史料をもとに実証的に精査する必要があろう。また、インドの知的発展が何を意味したのかについてもより詳細に検討する必要がある。すなわち、「検閲」に値するインドの知的発展とは、キリスト教以外の宗教的知の発展を指したのではないかという仮説が立てられるわけである。評者の史料の制約上、これらに関しては本稿で明らかにする術がなく今後の研究の課題となるが、インドの書誌管理を目的として制定されたPRB法を媒体として、イギリスのインド支配を分析するという切り口は興味深い。

 以上述べてきたように、本書は構成にやや難があるものの、インド近現代史にまたがる重要な論点を孕んでいる点で参照に値する。また、データの欠損が多い中で地道に集計された統計は、書誌管理におけるデータ保全に啓発的な影響を持つともいえよう。

 

 

注釈

[1] 国立国会図書館納本制度https://www.ndl.go.jp/jp/collect/deposit/deposit.html (2020年1月閲覧)。

[2] 納本制度に関する詳細は後述するように本書でも一部参照できるが、1981年に国際連合教育科学文化機関(UNESCO)の主導により国際ガイドラインが制定されている。Jules Larivière, Guidelines for Legal Deposit Legislation (Paris, 1981). https://www.ifla.org/publications/guidelines-for-legal-deposit-legislation より4ヵ国語で参照可能(2020年1月閲覧)。

[3] インドにおける桁区切りは千の位以降になると2桁で区切ることもしばしばある。

[4] 例えば、夫に先立たれた妻は、夫の火葬とともに殉死しなければならないサティーという慣習が存在し、当時のインド総督ベンティンクはこれを廃止させた。当時のインドでは、すでにサティーはほとんど見られなくなっていたものの、未亡人は夫に殉じなかった恥さらしとして認識されるという伝統があった。また、インド神話における恐怖の女神カーリーを進行するサギーと呼ばれる山賊集団も存在しており、ベンティンクはカーリー信仰を禁止することで山賊の解散に努めた。ジョイス・チャップマン・リーブラ(薮根正巳訳)『王妃ラクシュミー大英帝国と戦ったインドのジャンヌ・ダルク―』渓流社、2008年、99~101頁。なお、この本はインド大反乱において活躍したジャーンシー王国の王妃ラクシュミー・バーイーを主人公として、インド側の史料をもとに紡がれる史実に基づいた小説である。

[5] 竹内真人「インドにおけるイギリス自由主義帝国主義竹内真人編著『ブリティッシュ・ワールド―帝国紐帯の諸相―』日本経済評論社、2019年、38、44頁。

[6] 同上、45~46頁。

 

 

(でんどろ Twitter@dEndro_biuM)