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【書評】木村雅昭『大英帝国の盛衰―イギリスのインド支配を読み解く―』ミネルヴァ書房、2020年

木村雅昭『大英帝国の盛衰―イギリスのインド支配を読み解く―』ミネルヴァ書房、2020年、xi+408頁

 

 

 

 本書は長らくインドの政治史・社会史研究に従事してきた著者による、イギリスのインド支配(Raj)の総論的研究である。これまで、イギリス帝国の興隆から衰退までを描いた総論的研究は日本語でもいくつか出版されているが*1、特にインド支配に着目してイギリス帝国の一生を描く総論的研究は、我が国においては極めて乏しかった*2。この意味で、本書はインド史の大家たる著者による集大成とも感じられる。

 イギリスとインドの邂逅は17世紀の東インド会社まで遡る。イギリスのインド支配を描くにあたって、本書の記述も東インド会社によるインド交易から始まる。その後のイギリス帝国最盛期(いわゆるパックス・ブリタニカの時代)や、二度の世界大戦を経て帝国の支配が衰える過程はもちろんのこと、脱植民地化以降の時代までも射程に捉えており、イギリスによる植民地支配が現代に至るまで(良くも悪くも)根深く影響を及ぼしていることを著者なりの視点で明らかにしている。

 以下では、まず本書の構成を概説した上で、先行研究や最近の歴史学の潮流と照らし合わせた本書の評価や疑問点について見ていきたい。

 

 

1.本書の構成

 本書の構成は以下の通りである。

 <目次>

 序 章:帝国主義者のインド・イメージ

 第1章:東インド会社から帝国へ

 第2章:帝国とナショナリズム

 第3章:危機に立つ大英帝国

 コラム:現代インド外交と大英帝国

 第4章:帝国支配システム―その生成と展開

 あとがき

 

 まず本書の概要を紹介しよう。序章では、本書の目標がインドをめぐるイギリス支配の諸相の解明にあることが述べられ、イギリス帝国にとってのインド植民地がいかに重要な役割を果たしていたかが概説されている。

 それに続く第1~3章では、東インド会社のインド侵略から始まるイギリス帝国の興隆と、二つの世界大戦を経て衰退していく様子が時系列に沿って描かれる。いわば通史のような形式でイギリス帝国のインド支配を叙述しているが、特筆すべきはその通史を彩る事件の数々であろう。インドを議論の中心に据えながらも、帝国の拡大・維持の過程はロシアや中国、オスマン・トルコといった他国の動きが常に意識されており、イギリス帝国のアジア支配においてインドが心臓部であったということが極めて理解しやすい構成となっている。また、第3章で扱う第二次世界大戦に関しては、イギリス・インド・日本の混沌とした三つ巴の関係がときに日本側の史料も用いて丹念に描かれており、当時いかにイギリス帝国にとって日本が脅威であったかが臨場感を持って伝わってくる。日本のインド侵略を媒体とすることによって、アメリカが参戦に至った契機も明快に記述されており、当時の難解な国際関係を追いやすい。このように、イギリス・インドという二国間のみの関係にとどまらず、他国とのかかわりも積極的に扱う空間的なダイナミクスは本書の大きな特徴であろう。詳細な政治論争や戦争・内戦の描写は、人によってはやや冗長に感じるところもあるだろうが、膨大な先行研究や史料の精査は見事といわざるを得ない。

 第3章までで本書のタイトルでもあるイギリス帝国の盛衰は大方描かれてしまうが、第4章では時を東インド会社の時代まで戻して、イギリスがいかにインド支配にかかわる政治的システムを構築していったかが検討されている。インドの政治史・社会史の研究に従事してきた著者の本領ともいえる議論であろう。インド現地で莫大な富を築き上げ商人から富豪へと転じたネイボブの話から始まり、経済学者J・S・ミルの父として有名なジェームス・ミルの改革、インド高等文官制度の確立、そして果ては現代インドの官僚制の是非にまで議論は及ぶ。

 なかでもインド高等文官に関する議論は結論と密接にかかわっている。インド高等文官とはインド総督に仕え、インド現地の行政を担当する官僚であり、その多くはインドを文明化することを目的として厳しい教育と試験を乗り越えてきたイギリス人エリートであった*3。しかし、その実態はイギリス人政治家トーマス・マコーリーの主導で構築された教養主義的教育制度の下に生み出されたゼネラリスト(Generalist)集団であり、技術や文化などの専門的知識を持たない連中であった*4。インド高等文官は二度の世界大戦を経て、やがてイギリス人の就職先としての需要が低下していく。それに伴ってインド現地の行政は「インド化」(インド人の割合を増やすこと)が進められるが、官僚の大部分がインド人となってもその選抜方式は依然として教養主義的試験であり、キャリア形成に関しても一つの部署を最大で5年という短期間の任期しか与えられなかったように、ゼネラリスト的性格が色濃く残っていた。このような専門的知識の不要と、何かを成すには短すぎる任期は現代のインド官僚にも共通の特徴であり、イギリス帝国による支配が残した負の影響であると考えられている。

 一方で、近年世界的に注目を集めるインドのIT産業は、独立後早くからジャワハルラール・ネルーらの慧眼によって設立されたインド工科大学などの教育の成果もあって、着々と発展を遂げつつある。同分野の成功の秘訣は、専門知識を持った技術者が育ってきており、それを理解するテクノクラート(専門知識を有した行政官僚)がいること、そしてそれらの長期的な在職期間にあるという*5。先に述べた行政官僚の例とは真逆の制度、すなわちイギリス的ゼネラリスト教育からの脱却でもって成功を納めているのである。インドは独立後、幾度もの経済成長と経済危機を繰り返してきたが、その原因はすなわち、行政が各専門分野において素人同然のゼネラリストであることにより、現場の専門職との意向の不一致が存在することであった*6

 しかしながら、著者が取り上げるイギリス帝国が残した現代的影響は負の側面ばかりではない。例えば、現代の世界経済は自由競争を原則とした資本主義的システムのもとに成り立っている。こうした自由主義的国際システムは、イギリス帝国がパックス・ブリタニカの時代を確立し、1世紀にわたって平和を維持し得たからこそ創り出された「産業発展に好都合な環境」であるとして、イギリス帝国の残した「光」を著者は指摘している*7。イギリスが展開した自由貿易に基づく帝国主義政策*8は、「法の支配」を遵守する限りどの国家にでも経済発展のチャンスがあるということを世界に周知した点で、現代世界の平和維持に大きく貢献してきたといえるであろう。

 事実、イギリスはこうした自由主義市場経済の原理でもって、冷戦期にアメリカと協調し、植民地の共産主義化を阻止してみせた*9。当時、イギリスに代わってロシア、あるいは中国が覇権を握っていたとすると、今日の国際秩序とは異質なシステムが登場して来たに違いないとは著者の言である。イギリスのインド支配をめぐる議論はこれまで「マイナス評価」が一般的であったが*10東インド会社の進出から現代までの長大な時間を再考することによって、イギリス帝国が残した光と影を改めて定義しなおした点が、先述した空間的ダイナミクスと並び立つ本書のもう一つの特徴であろう。

 

2.本書の評価

 先に述べたように、本書は以下の二点を大きな特徴とする。まず、イギリス・インドのみを対象とした静学的分析にとどまらず、その時々でイギリスのインド支配に影響を及ぼしてきた他国(ロシア、オスマン・トルコ、アメリカ、日本など)の動向を詳述した点で、空間的ダイナミクスを有する。もう一つは、イギリスのインド支配の起点を17世紀の東インド会社に設定し、そこから1947年のインド独立にとどまらず、現代に至るまでのイギリス帝国の影響を扱った時間的なダイナミクスである。こうした空間的・時間的に広範な議論は、歴史学において近年急速に台頭してきたグローバル・ヒストリーの方法論に極めて適合した特徴であろう。グローバル・ヒストリーとは、簡潔に述べると、時間的・空間的な広大さを有し、ヨーロッパ中心史観や一国史観からの脱却を試みて地域間の相互関係を扱う歴史叙述の方法である *11。現に本書の結論で述べられたイギリス帝国の「光」にあたる議論は、グローバル・ヒストリーの草分け的研究として挙げられるI・ウォーラーステイン世界システム論を意識したものであろう*12。また、本書は各国の動向を注視しつつ、歴史的事象を現代的な問題に関連付けているだけでなく、史料についてもイギリス・インド・日本という三国の一次史料を用いるなどバランスが良い。この点でヨーロッパ中心史観・一国史観の脱却を試みていると考えられ、グローバル・ヒストリーの潮流を意識した包括的研究となっていることは極めて評価に値する。

 また、グローバル・ヒストリーとの関連で、イギリスとアメリカの関係を日本のインド侵略を媒体として論じたことも研究史上評価に値する。1950年代以降のイギリス帝国とアメリカの緊密な関係を扱ったWm・ロジャー・ルイスとR・ロビンソンによる「脱植民地化の帝国主義」論文は、イギリス帝国の崩壊に関する議論において大きな反響を呼んできた。この理論は、1950年代以降のイギリス帝国が共産主義陣営の打倒を目指すアメリカと協調して資本主義陣営を守ることによって、主にアフリカ植民地における帝国主義的影響力を脱植民地化期においても延命し得たというものである*13。この議論はアメリカ、ソ連、中東、アフリカ各国を扱った空間的なダイナミクスや、先行研究を踏襲し政治・経済の両側面に着目した点で好評を博してきたが、その当時すでに独立を達成していたインドに関しては、非同盟国としての立場が資本主義陣営と共産主義陣営の間で緩衝材として働いたと言及するにとどまっていた*14。本書は日本のインド侵略を扱うなかで、イギリスとアメリカがいかにして関係していったかを詳述した点で、ロジャー・ルイスとロビンソンの上記の議論をさらに補強する効果があろう。イギリスの対日戦は、大戦への参画を渋るアメリカの出方によって左右されており、1940年時点ですでにイギリスがアメリカに依存的であったことも明らかにされている*15

 本書はグローバル・ヒストリー的な側面において近年の歴史学の潮流を抑えている一方で、帝国史研究という側面から見ると、その政治史偏重的ともいえる分析手法にはやや疑問が残る。

 帝国史研究がJ・A・ホブスンとV・I・レーニンによる過剰資本輸出を帝国主義の主たる要因とした経済的分析に端を発し、それに対する政治的要因論者による厳しい批判と、政治・経済の両側面を重視したギャラハーとロビンソンによる画期的な議論「自由貿易帝国主義論」、さらには前例のない広大なフレームワークでもって改めて経済的要因を強調したケインとホプキンスの「ジェントルマン資本主義論」という変遷をたどってきたことは、いまや帝国史家にとっては周知の事実である。しかし、ロンドンの金融街やそこで活動する投資家の役割が帝国主義的政策を助長したとするジェントルマン資本主義論は、その分析手法として政治性を捨象し、ホブスン=レーニン・テーゼと同様に経済的分析を採用したことから、「研究史上の逆行」として厳しく批判されたこともあった。それだけでなく、ギャラハー=ロビンソンの「自由貿易帝国主義論」が帝国本国のみならず植民地現地までをも分析の対象としたのに対し、ケイン=ホプキンスのジェントルマン資本主義論が主に対象としたのはイギリス本国の金融街(ロンドン・シティ)であったため、この点においても少なくない批判が寄せられている。すなわち、極めて簡潔に述べるならば、帝国史研究は、分析手法としては経済→政治→経済、分析対象としては帝国本国→植民地→帝国本国という変遷をそれぞれたどってきたのである。

 本書においても、原初の帝国史研究であるホブスン=レーニン・テーゼに対する批判が見られる。それは、従来の政治的要因論者と同様、資本の輸出先が新規開拓を狙う植民地ではなく、旧来の植民地に向けられていたことから、過剰資本輸出には植民地分割的性格は見られないとして、経済的実証性を否定できるというものである*16。しかし、最近の研究成果を見ると、こうした政治的要因論者の主張は早計である。まず、ホブスンとレーニンではそれぞれ扱っている時代が異なり、両者の理論を全く同一視すべきではないこと、また、順序的に植民地分割→帝国主義→植民地への過剰資本の輸出という経過をたどることが自然であり、資本輸出が即植民地分割に反映されるわけではないということである*17。こうしたホブスン=レーニン・テーゼの再考ないし再評価から、本書の政治史偏重的な分析手法も後退的な議論として認識されるべきであろう。事実、本書において経済的要因への言及が不足していることは著者自身も認めており*18、あとがきで提示された展望は今後、帝国史・インド史研究者らによって着手されるべき課題であると真摯に受け止めたい。

 また、帝国史研究の潮流でいえば、政治・経済のみならず、文化的な側面に注目した研究も、近年盛んに議論されている。「新しい帝国史」と銘打たれたこの分析手法は、文学、民俗学、人類学、思想史などの側面に帝国のプレゼンスを見るものである*19。著者の過去の研究にはインド特有の文化であるカースト制度社会学的に分析するものもあったが*20、本書においてそうした研究の蓄積をもとにカースト制度と植民地支配の関係が論じられていないのはやや口惜しい。

 一方で、最近では、経済史偏重的なジェントルマン資本主義論や文化的要因を重視する「新しい帝国史」に対して、政治的議論が捨象されているとして、これらを批判的に踏襲したうえで政治的要因を接続する必要性を説いた研究も存在する*21。したがって、今後帝国史研究において実践されるべき方法は経済・文化・政治によるダイナミクスであろう*22

 以上のように、本書はその政治史偏重的な分析手法に若干の問題点が感じられるものの、経済および文化的要因の興隆が目立つ近年の帝国史研究の潮流において、改めて政治史の土俵で、なおかつ現代的な問題にも関心を寄せながらイギリス帝国のインド支配を描いたという点では、挑戦的な研究であったとも考えられる。重要なのは、グローバル・ヒストリー的特徴を有する本書を新しい研究の蓄積として、今後著者が提示したような経済的要因を解き明かしていくことや、著者の文化的側面に関する研究の蓄積を援用して、イギリス帝国のインド支配をより多角的な視野で論じていくことである。今後の課題としたい。

 

 

 参考文献

 

・Dilley, Andrew., Finance, Politics, and Imperialism: Australia, Canada, and the City of London, c.1896-1914 (Basingstoke, 2012).

 

・Gallagher, John.; Robinson, Ronald., ‘Imperialism of Free Trade’, Economic Historical Review, New Series 6: 1 (1953), pp.1-15.

 

・Ramnath, Aparajith., The Birth of an Indian Profession: Engineers, Industry, and the State 1900-1947 (New Delhi, 2017).

 

・Roger Louis, Wm.; Robinson, Ronald., ‘The Imperialism of Decolonization’, Roger Louis, Wm. ed., Ends of British Imperialism: The Scramble for Empire, Suez and Decolonization (London, 2006), pp.451-502.

Ends of British Imperialism: The Scramble for Empire, Suez and Decolonization

Ends of British Imperialism: The Scramble for Empire, Suez and Decolonization

 

 

・Tomlinson, B. R., ‘Imperialism and After: The Economy of the Empire on the Periphery’, Brown, Judith.; Roger Louis, Wm. eds., Oxford History of the British Empire, Volume IV: The Twentieth Century (Oxford, 1999), pp.357-378.

 

秋田茂、木村和男、佐々木雄太、北川勝彦、木畑洋一編著『イギリス帝国と20世紀』シリーズ、ミネルヴァ書房、2004~2007年(全5巻)。

※リンクは第1巻

 

秋田茂『イギリス帝国の歴史―アジアから考える―』中央公論新社、2012年。

イギリス帝国の歴史 (中公新書)

イギリス帝国の歴史 (中公新書)

  • 作者:秋田 茂
  • 発売日: 2012/06/22
  • メディア: 新書
 

 

秋田茂「19世紀末インド綿紡績業の発展と『アジア間競争』」秋田茂編著『大分岐を超えて―アジアからみた19世紀論再考―』ミネルヴァ書房、2018年、55~79頁。

「大分岐」を超えて:アジアからみた19世紀論再考

「大分岐」を超えて:アジアからみた19世紀論再考

  • 発売日: 2018/03/30
  • メディア: 単行本
 

 

・岡本充弘「グローバル・ヒストリーの可能性と問題点―大きな歴史のあり方」成田龍一、長谷川貴彦編著『〈世界史〉をいかに語るか―グローバル時代の歴史像―』岩波書店、2020年、26~47頁。

・小川幸司、成田龍一、長谷川貴彦「鼎談 『世界史』をどう語るか」成田龍一、長谷川貴彦編著『〈世界史〉をいかに語るか―グローバル時代の歴史像―』岩波書店、2020年、1~25頁。

・岸本美緒「グローバル・ヒストリー論と『カリフォルニア学派』」成田龍一、長谷川貴彦編著『〈世界史〉をいかに語るか―グローバル時代の歴史像―』岩波書店、2020年、76~96頁。

〈世界史〉をいかに語るか――グローバル時代の歴史像
 

 

・川北稔『世界システム論講義―ヨーロッパと近代世界―』筑摩書房、2016年。

 

・木畑洋一『イギリス帝国と帝国主義―比較と関係の視座―』有志舎、2008年。

イギリス帝国と帝国主義

イギリス帝国と帝国主義

  • 作者:木畑洋一
  • 発売日: 2008/04/21
  • メディア: 単行本
 

 

・木村雅昭『大英帝国の盛衰―イギリスのインド支配を読み解く―』ミネルヴァ書房、2020年。

本書。

 

・P・J・ケイン、A・G・ホプキンズ(竹内幸雄、秋田茂、木畑洋一、旦祐介訳) 『ジェントルマン資本主義の帝国』名古屋大学出版会、1997年(全2巻)。

ジェントルマン資本主義の帝国〈1〉

ジェントルマン資本主義の帝国〈1〉

 
ジェントルマン資本主義の帝国〈2〉

ジェントルマン資本主義の帝国〈2〉

 

 

ポール・ケネディ(鈴木主悦訳)『大国の興亡―1500年から2000年までの経済の変遷と軍事闘争―』草思社、1988年(全2巻)。

 

竹内真人「インドにおけるイギリス自由主義帝国主義竹内真人編著『ブリティッシュ・ワールド―帝国紐帯の諸相―』日本経済評論社、2019年、37~61頁。

・アンドリュー・ディリー(福士純、松永友有訳)「ジェントルマン資本主義論が言わずにすませ、見ずにすませていること」竹内真人編著『ブリティッシュ・ワールド―帝国紐帯の諸相―』日本経済評論社、2019年、97~139頁。

 

・竹内幸雄「帝国主義・帝国論争の百年史」『社会経済史学』第80巻4号、2015年2月、3~20頁。

 

・平田雅博「帝国論の形成と展開―文化と思想の観点から―」『社会経済史学』第80巻第4号、2015年2月、21~36頁。

 

・本田毅彦『インド植民地官僚―大英帝国の超エリートたち―』講談社、2001年。

 

・ドミニク・リーベン(袴田茂樹松井秀和訳)『帝国の興亡』日本経済新聞出版社、2002年(全2巻)。

 

 

*1:例えば、類似するタイトルを冠するものとして、ポール・ケネディ『大国の興亡―1500年から2000年までの経済の変遷と軍事闘争―』草思社、1988年(全2巻)や、ドミニク・リーベン『帝国の興亡』日本経済新聞社、2002年(全2巻)がある。これらはイギリス帝国のみならずアメリカやソ連オスマン帝国といった世界的に大きな影響力を保持した経験のある国々までも射程に入れた「帝国」や「大国」の総論的研究であった。一方、イギリス帝国の創生から衰退にフォーカスしたものとしては、P・J・ケイン、A・G・ホプキンズ(竹内幸雄、秋田茂、木畑洋一、旦祐介訳) 『ジェントルマン資本主義の帝国』名古屋大学出版会、1997年(全2巻)が挙げられる。上記はいずれも翻訳書であるが、日本人研究者によるイギリス帝国史の総論的研究としては、ミネルヴァ書房から発刊された全5巻本の『イギリス帝国と20世紀』シリーズ、木畑洋一『イギリス帝国と帝国主義―比較と関係の視座―』有志舎、2008年などが挙げられる。

*2:唯一、アジアの視点からイギリス帝国の一生を描いた文献として、秋田茂『イギリス帝国の歴史―アジアから考える―』中央公論新社、2012年が挙げられる。

*3:本田毅彦『インド植民地官僚―大英帝国の超エリートたち―』講談社、2001年、10頁。この本は本書でも引用されており、インド高等文官に関する日本語の概説書として優れた資料である。

*4:木村雅昭『大英帝国の盛衰―イギリスのインド支配を読み解く―』ミネルヴァ書房、2020年、249~264頁。なお、トーマス・マコーリーは「私はサンスクリット語アラビア語の知識を持たないが、ヨーロッパの良い図書館の一棚はインドとアラビアの全ての作品に値する」と発言するなどしてインドにおける英語教育の導入を強行した過去もあり、一貫して現地の文化を軽んじる姿勢が見られた。竹内真人「インドにおけるイギリス自由主義帝国主義竹内真人編著『ブリティッシュ・ワールド―帝国紐帯の諸相―』日本経済評論社、2019年、42頁。また、インド高等文官がインドにおける行政を担当する一方で、インドにおける公共事業の技術部門を担当する技術者組織としてインド公共事業局が存在したが、ここにおいても専門技術を軽視したゼネラリスト的イギリス人が求められたため、ゼネラリストの必要性はイギリス的価値観であったと考えられる。Aparajith Ramnath, The Birth of an Indian Profession: Engineers, Industry, and the State 1900-1947 (New Delhi, 2017), Chapter 3.

*5:木村『大英帝国の盛衰』、288~289頁。

*6:本書ではかつて基幹産業に指定されていた鉄鋼業を例に取り上げ、IT産業と対比してこの制度的問題を指摘している。インドにおける鉄鋼業は幾度か実施された5カ年計画において、一度も目標生産高を達成することができなかったが、そこにはタタ製鉄所を例外とする記述も見られる。これに関連して、先に挙げたRamnathの文献は、技術者におけるゼネラリスト的性格を打ち破り、いかにしてインドにおける専門技術者が誕生したかを、民間企業のタタ製鉄を例に取り上げて解明した価値ある研究である。結局のところ、インドにおける専門技術者の誕生は、イギリスのゼネラリスト的性格を払拭しきれない政府管轄の機関ではなく、民間企業に期待せねばならなかった。詳しくはRamnath, The Birth of an Indian Profession, Chapter 5を参照。

*7:ただし、こうした自由主義に基づく経済発展政策が、インドをはじめとした植民地各国では実施されてこなかったことは著者も問題視している。木村『大英帝国の盛衰』、277~278、298頁。また、インドを中心とした植民地経済史家B. R. Tomlinsonも、1985~1987年における旧植民地の経済的・社会的発展の指標を数量的に検討し、イギリスの帝国支配が現代の旧植民地に富も健康も幸福ももたらしてこなかったと結論付けている。B. R. Tomlinson, ‘Imperialism and After: The Economy of the Empire on the Periphery’, Judith Brown; Wm. Roger Louis eds., Oxford History of the British Empire, Volume IV: The Twentieth Century (Oxford, 1999), pp.357-378.

*8:いわゆる「自由貿易帝国主義論」については、John Gallagher; Ronald Robinson, ‘Imperialism of Free Trade’, Economic Historical Review, New Series 6: 1 (1953), pp.1-15を参照。

*9:その際に、イギリスはアメリカの支援を得ることで、アフリカを中心とした残存する植民地に対して影響力を延命し得た。しかし、こうした植民地支配の延命は資本主義(ないし自由主義)的国際秩序を共産主義勢力から守るために必須の手段であった。詳しくは後述するが、Wm. Roger Louis; Ronald Robinson, ‘The Imperialism of Decolonization’, Wm. Roger Louis ed., Ends of British Imperialism: The Scramble for Empire, Suez and Decolonization (London, 2006), pp.451-502を参照。

*10:木村『大英帝国の盛衰』、405頁。

*11:この定義を採用するにあたり、以下の三点の論考を参考にした。小川幸司、成田龍一、長谷川貴彦「鼎談 『世界史』をどう語るか」成田龍一、長谷川貴彦編著『〈世界史〉をいかに語るか―グローバル時代の歴史像―』岩波書店、2020年、1~25頁。岡本充弘「グローバル・ヒストリーの可能性と問題点―大きな歴史のあり方」同上、26~47頁。岸本美緒「グローバル・ヒストリー論と『カリフォルニア学派』」同上、76~96頁。なお、グローバル・ヒストリーの特徴として、上記に挙げた以外にも、有史以前の人類の誕生や、果ては宇宙の誕生といった超長期的な時間を扱うことや、疫病・環境・人口・生活水準といった人間の日常に近い新しいテーマを扱うことなども挙げられる。ただし、上記の各々の文献でも語られているようにグローバル・ヒストリーそのものの語意は未定義であり、現状これらの特徴はすべて十分条件として扱われている。

*12:「いずれにせよそこ[評者注:イギリスが確立した自由主義的世界]では勝者と敗者が入れ替わり、適切な政策を採る限り、いつかは自分の順番がまわってくるから、その本質においてこの体制は平和的で持続的な体制である」という記述が本書に見られるが、これは世界システム論の「単線的発展段階論」を意識した世界秩序の見方であろう。木村『大英帝国の盛衰』、299頁。「単線的発展段階論」および世界システム論に関しては、川北稔『世界システム論講義―ヨーロッパと近代世界―』筑摩書房、2016年を参照。

*13:アメリカは植民地支配の被害経験から、従来のイギリスの植民地主義には賛同できなかったが、共産主義勢力の拡大を防ぐためにはイギリスの有した膨大な植民地やコモンウェルス諸国を資本主義勢力へと引き入れることが必須であった。そのため、アメリカはイギリス帝国の非公式的支配に関しては容認する立場を取り、植民地およびコモンウェルス各国を資本主義陣営へと内包する方法を取った。また、第二次世界大戦を経て疲弊していたイギリスにとってアメリカの経済援助と非公式的支配の容認は、帝国主義復権を目指すうえで都合がよかった。Roger Louis; Robinson, ‘Imperialism of Decolonization’. 帝国の非公式的支配の概念についてはGallagher; Robinson, ‘Imperialism of Free Trade’を参照。

*14:Roger Louis; Robinson, ‘Imperialism of Decolonization’, p.468.

*15:木村『大英帝国の盛衰』、137~166頁。

*16:そのうえで著者は政治的要因が重視されるべきとの見解を述べている。木村『大英帝国の盛衰』、50~51頁。

*17:竹内幸雄「帝国主義・帝国論争の百年史」『社会経済史学』第80巻4号、2015年2月、4、16~17頁。

*18:特に、インド・ランカシャー間の綿布貿易によって壊滅したかに見えたインド綿産業が、手織り綿布によって根強く生き残っていた事実から、インドの重化学工業分野の不振と植民地的背景の関係について考察する必要があることを、著者は本書のあとがきにおいて提示している。しかし、この議論については齢70を超えた著者の体力的な制約もあり、本書では実現し得なかった。木村『大英帝国の盛衰』、407頁。なお、19世紀末のインド綿産業の「根強い生き残り」に関しては、秋田茂「19世紀末インド綿紡績業の発展と『アジア間競争』」秋田茂編著『大分岐を超えて―アジアからみた19世紀論再考―』ミネルヴァ書房、2018年、55~79頁が詳しい。

*19:「新しい帝国史」の概要については、平田雅博「帝国論の形成と展開―文化と思想の観点から―」『社会経済史学』第80巻第4号、2015年2月、21~36頁。

*20:木村雅昭『インド史の社会構造―カースト制度をめぐる歴史社会学―』、創文社、1981年。

*21:例えば、アンドリュー・ディリーはジェントルマン資本主義論と「新しい帝国史」の系譜である「ブリティッシュワールド論」について、互いの盲点を批判しあってきたとして、この二つの議論を統合することの有益性を説いているし、また、この二つの議論には政治的要因がほとんど扱われてこなかったことを指摘している。アンドリュー・ディリー(福士純、松永友有訳)「ジェントルマン資本主義論が言わずにすませ、見ずにすませていること」竹内真人『ブリティッシュ・ワールド―帝国紐帯の諸相―』日本経済評論社、2019年、116~122頁。なお、上記はタイトルの通り、ジェントルマン資本主義論に対する批判が中心に据えられているが、同著者のブリティッシュ・ワールド論に対する金融・政治的側面からの批判は、以下の文献がより詳しい。Andrew Dilley, Finance, Politics, and Imperialism: Australia, Canada, and the City of London, c.1896-1914 (Basingstoke, 2012).

*22:具体的方法論については、ディリーが提示している。ディリー「ジェントルマン資本主義論が言わずにすませ、見ずにすませていること」、122~125頁。