でんどろのはてなブログ

Twitter @dEndro_biuM 歴史学(主にイギリス帝国史、インド史)に関する書評や一般書の感想など。更新頻度は稀。管理人の読書スピードが遅いから。しばらくは試験運用。

【本の感想】野口雅弘『マックス・ウェーバー―近代と格闘した思想家―』中央公論新社、2020年

野口雅弘『マックス・ウェーバー―近代と格闘した思想家―』中央公論新社、2020年、viii+276頁

 

 

 

 人文・社会科学を専攻した人ならば一度は名前を聞いたことがあるだろう。マックス・ウェーバー政治学、経済学、社会学、宗教学等々、様々な学問領域において登場する「知の巨人」である。今年2020年は、マックス・ウェーバー没後100年という節目の年であり、本書もそれを記念して企画されたようである*1ウェーバーの代表的な研究といえば、『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(以下、『プロ倫』)であろう。資本主義社会の発展を、プロテスタントの禁欲的精神から解き明かす大著である。本書においてもこの研究は、ウェーバーの生涯における一つのキー・スタディとして登場するが、本書が扱うのは『プロ倫』だけではない。むしろ、ウェーバーのテキストや人物像を深く掘り下げるというよりは、ウェーバーの一生涯に言及しながらも、その周辺の人物(思想家、芸術家、政治家、etc.)や時代背景に着目した点が本書の特徴といえよう。

 例えば、ウェーバーが『プロ倫』をはじめとして宗教社会学という領域を確立するに至った過程は、彼の父と母をルーツにして描かれるし、音楽社会学への取り組みもピアニストのミナ・トーブラーとの交流を介して描かれる。私的には、ウェーバーの大学への就職に際しての時代背景や、ウェーバーから見た日本/儒教などのトピックに興味を魅かれたが、興味・関心を抱く部分は読む人によって様々であろう。それほど多くのトピックが散りばめられた本であるように感じた。

 以下、本書の構成を提示し、私的に気になった点について、あらすじと感想を述べていく。

 

 

本書の構成

はじめに

第一章 政治家の父とユグノーの家系の母―ファミリーヒストリー

第二章 修学時代―法学とパラサイト

第三章 自己分析としてのプロテスタンティズム研究―病気と方法論と資本主義

第四章 戦争と革命―暴力装置プロパガンダと「官僚の独裁」

第五章 世界宗教を比較する―音楽社会学オリエンタリズム

第六章 反動と予言―ウェーバーとナチズム

終 章 マックス・ウェーバーの日本―「ヨーロッパ近代」のロスト・イン・トランスレーション

あとがき

ブックガイド

 

 

「僥倖」と「サイコロ賭博」

 ウェーバーが行った著名な講演のなかに、『職業としての学問』というものがある。これは学問を生業とすることにかかわる様々な問題を取り上げた、晩年のウェーバーによる講演である。日本では長らく尾高邦雄の訳による岩波文庫*2(以下、岩波版)が親しまれてきた。

 一方で、本書の著者は2018年にこの講演の新訳を『仕事としての学問/仕事としての政治』*3として講談社より出版している(以下、講談社版)。この新訳版の出版当時から話題になったのが、岩波版で「僥倖」と訳されていた単語‘Hazard’を「サイコロ賭博」として改めたことである。本書でもこの点について詳しく述べられているので見て行こう。

 ウェーバー曰く、アカデミズムの世界で就職できるかどうかは‘Hazard’であるという。この‘Hazard’の意味をめぐって、岩波版、講談社版の訳を比べてみよう。

 

岩波版

 ①とにかく、こんにちのドイツの大学や研究所では、かつての職員の編制は、外面的にも内面的にももはや名ばかりのものとなってしまった。ただ、職員の昇進に関しては、むかしながらのものがある。それは、私講師や研究助手が他日正教授や研究所幹部となるためには、ただ僥倖を待つほかないということである。…それがまったくの偶然の支配下にあるということは、実際想像のほかである。おそらく、これほど偶然によって左右される職歴はほかにないであろう*4

 ②ところで、このように才能ではなく僥倖が大きな役割を演じているというのは、けっしてそこに情実がはたらいているからばかりではない*5

 ③それゆえ、大学教師の運命を決するものが大部分「僥倖」であるということは、単に集団意志にもとづく人選の欠陥だけからくるものではないのであって、そこにはさらに他の理由が明らかにされる必要がある。いやしくも学問を自分の転職と考える青年は、かれの使命が一種の二重性をもつことを知っているべきである。というのは、かれは学者としての資格ばかりでなく、教師としての資格をももつべきだからである*6

 ④かくて、大学に職を奉ずるものの生活はすべて僥倖の支配下にある*7

 

講談社

  ①外的にと同じく内的にも、かつての〔ドイツの〕大学の体制は、もはや虚構になっています。しかし、大学でのキャリアに特有の問題は残っており、しかも本質的なところで、それはさらに大きくなっています。私講師がいつか正規の教授や、ましてや研究所の管理職のポストに就くことができるかどうか。これはまったくサイコロ賭博のような話です。…たしかに、偶然だけが支配しているわけではありません。しかし、尋常ではないレベルで偶然が支配しています*8

 ②しかし、優秀さそれ自体ではなく、サイコロ賭博がこんなにも大きな役割を果たすというのは、人間的なものだけの問題ではないし、けっして主として人間的なものの問題というわけでもありません*9

 ③アカデミックな運命がこれほどまでに「サイコロ賭博」だということは、集合的な意志形成による選別の不備というだけの問題ではありません。自分が研究者になる使命を負っていると考える若手ならだれもが、自分に期待されている課題には二つの顔があることを自覚しなければなりません。研究者としてだけでなく、教員としても資格をそなえていることが求められる立場にいるのです*10

 ④このようにアカデミズムの人生というのはワイルドなサイコロ賭博です*11

 

 上記からも明らかなように、岩波版で「僥倖」と訳されていた部分は、講談社版ではすべて「サイコロ賭博」に直されている。これは著者曰く、‘Hazard’という単語はもともとアラビア語の‘az-zahr’(サイコロ賭博)に由来し、また、‘Hazard’それ自体もpositiveな含意はなく、むしろ「危険」などのnegativeな含意の方が一般的なためである。‘Hazard’を「僥倖」と訳すことで「偶然が支配する」というニュアンスは確かに出るが、「あまりに危険なのでなるべく近寄らない方が賢明である」という含意は薄れてしまう。「研究で生きていくという進路選択は、『賭け』に似ている。『僥倖』を語るのは、この賭けにたまたま勝った人だけである。『サイコロ賭博』では、多くの場合、人は負ける」*12

 実際に訳文を比べてみると、岩波版①では「僥倖を待つ」という表現がなされてあり、文意としては違和感はない。ただし、その後の②~④を見てみると、「僥倖」が独り歩きしており、「待つ」という言葉はそれ以降登場しない。岩波版の訳分は日本語として自然であることに主眼を置き、直訳してわかりにくいところは意訳されている*13というが、初出の段階で‘Hazard’=「僥倖を待つ」としてpositiveな側面を前面に出して意訳してしまったために、その後の‘Hazard’に「僥倖」を充てざるを得なくなってしまった印象を受ける。

 前述の通り、「サイコロ賭博」にはpositiveな含意もnegativeな含意も付きまとう。かつてのウェーバーの置かれた状況を見てみると、この講演で彼が何を思って「大学への就職はHazardである」と述べたかが明らかとなる。1889年に博士号を取得し、その二年後、教授資格を取得しベルリン大学に就職、さらに翌年(1892年)にはフライブルク大学の国民経済学の教授に就任することが決まるが、この人事はプロイセン文部官僚のフリードリヒ・アルトホーフの横槍によりいささか難航した。アルトホーフは優秀なウェーバーをベルリンに留めておきたかったようである。フライブルク大学への異動が不確かな状況にあったとき、ウェーバーは降られたサイコロを不安げに眺めていたことであろう。最終的にはフライブルクへの異動が正式に決定するが、彼にとって当時の状況はpositiveに転ぶかnegativeに転ぶか、先が見えないまさにギャンブルであった*14

 

 

ウェーバーから見た日本

 本書によると、ウェーバーの著作は日本において、世界的に見ても例外といわれるほどまでに熱心に読まれ、受容されてきた。本場ドイツで1984年から刊行された『マックス・ウェーバー全集』は、その3分の2が日本人によって購入されたという。この事実は当然ドイツ人のウェーバー研究者を驚かせ、後にヴォルフガング・シュヴェントカー『マックス・ウェーバーの日本』(原題:Max Weber in Japan)という著作の刊行につながったという*15

 一方で、当のウェーバー本人は、宗教社会学を研究するにあたって、日本の位置付けには非常に難渋したらしい*16。周知のごとく、ウェーバーは『プロ倫』において、プロテスタントの禁欲的なエートス(ある集団で持続的に維持されてきた精神的態度)が資本主義的な生産システムと親和性を持っていたことを主張している。これに対して、後年の代表作『宗教社会学論集』にて、ウェーバーは日本社会のエートスを「宗教以外の封建的な構造によって規定されているがゆえに、『宗教』社会学的な考察の対象ではない」と考えている。また、ウェーバーは日本で受容されてきた儒教を、慣習や伝統に限りなく従う「調和的な社会理論」と解していた。すなわち、ウェーバーから見た日本/儒教とは、プロテスタント/プロテスタンティズムのような伝統批判・現世改造とは一線を画した、非宗教的なもの以外の何ものでもなかった。こうした儒教の秩序観は『プロ倫』を執筆したウェーバーにとって相当ショッキングなものとして映ったという*17

 江戸時代の日本において、幕府が儒教(特に朱子学)の普及に注力したことは教科書レベルの話として周知であろう。そのため、ウェーバー的な宗教社会学の観点から当時の日本の経済発展を論じる際に、多くの研究者が儒教の影響に注目する。ウェーバーは日本社会の封建的性格を強調し、宗教的観点からの分析の対象ではないとして日本の経済発展を論じることを放棄した。確かに、江戸時代の日本は武士や農民、商人といった職分規定をもとに、封建的な身分制度が存在した(いわゆる「士農工商」はなかったとする説も近年唱えられているが、ここではこれについて多くは立ち入らないこととし、若干の補足を後述するにとどめる)。しかし、この封建的な社会は当時の日本人のエートスが、江戸幕府の成立とともに大きく変化したことに由来する。すなわち、戦国時代が終焉を迎えた際に、人々は自ら望んで封建的な職分規定を受け入れたのであり、そこには宗教的な要因も大きくかかわっていた。いまからこのことを詳細に見て行き、ウェーバーが日本/儒教について半ば理解を放棄した理由を探っていきたい。

 寺西重郎によると、江戸時代の日本では商業の発展にリードされた経済成長が見られたが、これには鎌倉時代に普及した大乗仏教とその易行化の影響が根底にあったという。

 まず、1765~1803年にかけての日本の生活水準は、同時代のイギリスに比肩し得るものであったことが数量的に示されている*18。これはいわゆる「西廻り航路」と呼ばれる日本海側からの物資輸送ルートの確立など、幕府のインフラ整備によって商業の流通が大きく進化したことが要因と考えられている。当時の日本では、ヘクシャー=オリーン定理*19に則った多国間分業の体制が、藩を単位として一国内で成立していた*20というから驚きである。また、流通を担う商人は情報の担い手にもなり、小規模農民の副業としての工業生産への進出(問屋制家内工業)をコーディネートした*21。すなわち、江戸時代の日本における経済発展の中心には商人が位置しており、商人が農民を工業生産に引き込んだ形であった。

 商人や農民の経済活動が活発となった要因として、仏教による「道徳律」の涵養も看過できない。当時の思想家、石田梅岩によると、商人の「物資を運ぶ」という役割は「それがなければ社会が機能しない」ものであり、彼は商人が商業活動を行う上で「正直などの基礎的な道徳律を遵守し、禁欲的な自己規律を確立する」必要性を説いた*22。こうした商人の道徳律は、商業活動を行う上で必須となる「信用」の醸成に一役買った。また、一方で同時代の思想家、二宮尊徳は農民の道徳的規範を示している。彼は経済発展の原動力は農業であると規定した上で、農民が守るべき道徳律は、「効率的な生産から導かれた、日常生活の再生産に必要な衣食住の確保と物資の増殖」であり、「その破壊が悪」であった*23。すなわち、農民は非効率的な伝統からの脱却を求められていた。これはプロテスタントエートスである伝統批判・現世改造とやや類似した考え方とも見て取れるが、いずれにしても商人・農民の道徳律として共通していたのは、自らの職分を全うする求道的精神である。

 これらの道徳律に関する思想の由来は、鎌倉時代初期まで遡る。はるか昔、6世紀ごろに日本に到来したといわれる大乗仏教は、全ての人に成仏する資格があるとする大衆救済の教義であった。平安の動乱、特に1180年代にはいわゆる源平合戦として数多の戦を経験した当時の日本は、社会的不安・混乱の最中にあったといえよう。そうした情勢において、僧院に入らずとも日常生活で修行を積むことによって悟りに達することができるという大乗仏教の理念は極めて社会的に需要があった。しかしながら、僧院で行われる厳しい修行を日常生活の中で再現することは必ずしも容易ではないという事実もまた存在した。そこで鎌倉時代の仏教界が出した答えは「易行化」であったという*24。すなわち、日々の生活の中で念仏を唱えるだけで善行が積みあがるなど、修行のハードルを大幅に下げたのである。

 易行化によって、大乗仏教は文字通り大衆が取り組みやすい宗教となり、職場や生活の場といった日常生活の中で宗教実践が行われるようになった。具体的には、自ら勤勉に職業に勤めることによって、悟りの道へと精進する求道的精神の実践である*25。先に述べたように、この易行化によってもたらされた職業的求道主義が長期的に人々の間で育まれた結果、経済活動におけるコストの低下(信用の醸成・効率化等)をもたらした。では、それが結実するのがなぜ江戸時代であったのか?この問いには、ウェーバーが疑問視した日本の封建的性格が大きくかかわる。

 江戸時代における職分規定は、武士、百姓(農民)、町人(商人・職人)等といったものが存在しており、それぞれに支配・被支配関係があったわけではないが、天皇・公家・神主・僧侶などの階級もあったことから、当時の日本が封建的な性格を帯びていたことは間違いない*26。こうした封建的な職分規定の確立は、戦国時代のようなそれまでの不安定な社会システムからの脱却を人々が求めた結果であった。大乗仏教の易行化によって道徳律を涵養し、職業求道主義を見出した民衆にとって、職分規定という名の封建制の「桎梏」は、安定的な社会秩序をもたらすため、むしろ好都合であった。戦国時代のような暴力を伴う下克上的な社会システムでは、日々安心して善行に務めることは難しかった。人々は安定と(日々の修練による)繁栄を期待して、封建的社会を受け入れたのである*27

 また、先に述べた二宮尊徳石田梅岩の思想は紛れもなく仏教由来の道徳律であるが、これらの教えは儒教の用語を借用して伝えられた。当時、唯一整合的に体系化された学問が儒学(特に朱子学)であったためである*28。前述したように、江戸幕府朱子学を奨励した事実からも明らかであろう。

 さらに、武士階級については「他者への尊敬と自己に対する厳しさは一体の関係にある」として、自他一体の道徳律が重視された。すなわち、自分自身が恥じるような行為は、尊敬する他者にも恥ずべき行為であるという、仏教的世界観における「身近な他者への関心」である*29。したがって、武士は尊敬する人に恥じない行為を常に求められた。ウェーバー儒教を、慣習や他者との調和を重視した、いわゆる「空気を読む」社会理論と認識したが、もしかするとこれは、仏教の世界観における「身近な他者」への尊敬がそう見えただけなのかもしれない*30

 以上より、江戸時代以降の日本の社会経済はウェーバーのいうような「封建的」性格のみによって発展してきたわけではないといえそうである。その根底には儒教の「調和的社会理論」よりも仏教的な影響の方が色濃く存在した。動乱の時代を生きた人々の安定を求める想いと仏教の道徳律が一致した結果、人々は「封建的な社会を選んだ」のである。そして、その時代には奇しくも幕府による奨励によって儒教(朱子学)が学問として体系づけられていた。

 儒教が流行した江戸時代の日本の社会構造は、宗教的性格と封建的性格を併せ持ったものであった。このことから、ウェーバーが日本ないし儒教の宗教社会学的な側面を理解できなかったのも無理はないように思われる。道徳律の深化に基づく商業先導的な日本の経済発展は、西洋の産業革命に由来する経済発展に代替するものとはなり得なかったことも事実である。西洋の資本主義的経済システムと比べて、道徳律による日本の経済発展は、加速力や持続力といった点で劣ることから、ペリーの黒船来航をきっかけに日本は西洋的工業化の道を選択せざるを得なかった*31。工業発展・技術革新は人々の生活から手間を取り除き、寿命を延ばすなどの効果が期待できようが、道徳律の発展のみではそうした物質的革新をカバーできなかったのであろう。

 

 

日本におけるウェーバー

 上記のような歴史的経緯から、日本では大塚久雄を第一人者として、西洋的な経済発展を求めてウェーバーの研究が盛んに繰り広げられるようになる。ウェーバーと同時代を生きたドイツの経済学者、ルヨ・ブレンターノに当初関心のあった大塚久雄は、東大で教鞭を取ったドイツ人経済学者クルト・ジンガーと出会い、研究の軸足をウェーバーマルクスに移すこととなる。いわゆる「講座派」としての大塚久雄の研究になじみがある方ならご存じかと思うが、大塚久雄の西洋観はまさに「理想郷」ともいうべきものであり、ウェーバーの西洋観とは大きく異なり、世界的に見ても独特であったという。ウェーバー1920年6月14日にスペイン風邪が原因で亡くなったといわれるが、仮にウェーバーがもう少し長生きをしたとしても、大塚久雄の独特な世界観を見ると、相変わらず日本社会の理解には悩まされたのかもしれない。

 本書の終章「マックス・ウェーバーの日本」は、こうした大塚久雄らの「独特」なウェーバー理解をきっかけとして、ウェーバーのさらなる可能性を提示するものであるように感じた。著者も「『ヨーロッパ近代』が唯一の近代の可能性であるとすることはもはやできない」と述べており、私も今回この意見にあやかって、浅学菲才ながら江戸時代の日本の経済発展に関して多くの紙幅を割いて感想を述べさせてもらった(結果的にあまりまとまりのない感想となってしまった。間違いがあれば優しくご指摘いただけるとありがたい)。ウェーバーによる「ヨーロッパ近代」のスケッチについては、さまざまな受容の可能性があり、また実際、さまざまに受容されてきた*32。本書をきっかけに、異分野における新たなウェーバーの援用方法を探してみるのも、おもしろいかもしれない。

 

 

参考文献

マックス・ウェーバー(尾高邦雄訳)『職業としての学問』岩波書店、1936年。

 

マックス・ウェーバー(野口雅弘訳)『仕事としての学問/仕事としての政治』講談社、2018。

 

寺西重郎『日本型資本主義―その精神の源―』中央公論新社、2018年。

日本型資本主義 その精神の源 (中公新書)

日本型資本主義 その精神の源 (中公新書)

 

 

・野口雅弘『マックス・ウェーバー―近代と格闘した思想家―』中央公論新社、2020年。

本書。

 

 

 

 

*1:Web中公新書「『同時発売』の舞台裏」(http://www.chuko.co.jp/shinsho/portal/114155.html)、2020年6月26日閲覧。

*2:マックス・ウェーバー(尾高邦雄訳)『職業としての学問』岩波書店、1936年。

*3:マックス・ウェーバー(野口雅弘訳)『仕事としての学問/仕事としての政治』講談社、2018年。

*4:ウェーバー『職業としての学問』、15頁。傍点ママ。

*5:同上、16頁。

*6:同上、18頁。

*7:同上、20頁。

*8:ウェーバー『仕事としての学問/仕事としての政治』、22頁。傍点ママ。

*9:同上、23頁。

*10:同上、25~26頁。

*11:同上、28頁。

*12:本書、45~46頁。

*13:ウェーバー『職業としての学問』、81~82頁。

*14:本書、46頁。

*15:本書、iv~v頁。

*16:本書、162頁。

*17:本書、162~165頁。

*18:寺西重郎『日本型資本主義―その精神の源―』中央公論新社、2018年、138頁。

*19:簡単にいうと、資本賦存量の豊富な国では資本集約的な財に、労働力の豊富な国では労働集約的な財にそれぞれ生産を特化して、2国間で分業体制を取るようになると同時に、自国が生産しない財の価格が低下するようになるという定理。

*20:寺西『日本型資本主義』、141~143頁。

*21:同上、145~146頁。

*22:同上、172頁。

*23:同上、170頁。

*24:同上、63~64頁。

*25:同上、59、68頁。

*26:上記の職分規定は、かつて小学校~高校の教科書において士農工商と呼ばれていたものであるが、東京書籍によると、近年の研究では「士・農・工・商」という語句がランク付けに使われたという言説は実証性に乏しいとされている。すなわち、士農工商はなかったといわれる所以である。しかしながら、武士、百姓、町人といった職分規定がなかったことを示すわけではなく、むしろそうした職分規定は確かに存在していたとのことなので注意されたい。東京書籍「教科書・図書教材よくあるご質問Q&A―Q. 以前の教科書ではよく使われていた「士農工商」や「四民平等」といった記述がなくなったことについて、理由を教えてください。」(https://www.tokyo-shoseki.co.jp/question/e/syakai.html#q5)、2020年7月4日閲覧。

*27:寺西『日本型資本主義』、168頁。

*28:また、石田梅岩がそもそも儒学者であったことも関係する。同上、164頁。

*29:仏教とキリスト教の世界観の比較については、同上、59頁、表3を参照されたい。

*30:現に、寺西は『菊と刀』を著したルース・ベネディクトの「日本人は他者の評価のみを基準に生きている」という言説を皮肉っている。同上、162頁。

*31:同上、154頁。

*32:本書、248頁。